損したくない

晴れた日は必ず布団を干す。夜まで帰れなかったら干さないけど、でもせっかく陽が出ているともったいないなと思ってしまう。

腕まくりする。ビタミンDの事を思うと少しでも皮膚に日差しを当てたくなる。

他には必要以上の輪ゴム、何度か使ったジップロック等々がなかなか捨てられない。

もったいないお化けの存在を知ったのはいつ頃だったか定かじゃない。今はもうそんな奴が実在しないことも分かっている。でもいまだに誰かに「それもったいなくない?」と言って「そう?別に良くない?」と返されたときに「でももったいないお化けがさあ・・・」と会話のクッションとして使っている。

ケチではない。いやケチだと思われたくない。そのせいでかっこつけてお金に対しては無頓着であるかのように見せるようになってしまった。

実家で暮らしていたときは今みたいにティッシュ一枚を何度も使いまわしたりしなかったし、モノを大事にすることはあっても執着するようなことはなかった。それが一人暮らしを始め、家事というか生活自体を自分で管理しなくちゃならなくったときに新しい人格が徐々に形成されていったように感じる。

自分の中の自分と相談を繰り返す、バスタオルは裏と表と2回使って洗濯を減らしたい、生ごみは冷凍庫に入れて腐らないようにしたい、寝巻き用のTシャツは冬は2,3回使いたい。「どう?気にする?しない?」と話し合う。お互いに押し引きはあるけれど楽がしたいという点においては意見の一致をみているのでとにかく利点を強調する。

気づいたら許容範囲がすごく広がっている。気にしなくなることが増えていく、こだわりが減っていく。そうするとなにか寂しさを感じる。こんな時にいつも思い浮かべる漫画の一コマがある。シガテラ古谷実)の最終話の「僕はつまらない人間になった」だ。

最近よく思う。外にいても家にしても苦しかった(本当に苦しかった)頃に比べたらすごく落ち着いている。でもきっと物語として成立しない人生(生活)になってしまったんだろうなと。