失点シーンのハイライト

しかも打席に親を立たせて。親に成長した姿以外を見せるなんて本当に最低だ。本当に本当に最低だ。

 

俺はマウンドに立ちボールを投げずに持ち続けていた。(野球が分からない人には申し訳ない)

今になって思えばただの遅延行為だ。だけどその渦中にいる時はルール違反ではないと少し開き直っていた。多くの人たちに迷惑をかけた。なにもかも先延ばしに先延ばしにした。

特にタチが悪いのが相手を選んでいたことだ。そもそもボールを持ったまま投げないのは打たれるのが怖いから、打席に立つ人をチラ見しては遅延行為を繰り返してきた。一見の実力の分からない相手には一球も投げられなくなった。

俺の投げるボールはへぼだ。簡単に打ち返せる。俺は一流のプレーヤーにはなれない。だから予定調和を楽しんだ。俺のヘボボールを気持ちよく打つ代わりに俺にも簡単に打ち返せるボールを投げてくれる友達と仲良くした。それは楽しかった。でもいつか、全く成長しない俺と少しづつ成長していく友達には気持ちのズレが生まれてくる。

疎遠になる、それは仕方ない。いつだって誰にだって起きうることだから。

ただ問題は打席に立ってくれる人が減っていくこと。さらに出合い頭で一発を打たれたら嫌な相手が増えていくこと。人生はマウントの取り合いだ。家を一歩出たら100人の敵がいるんだから。

・・・やっぱり最低だ。自分に対して優しさをもって手加減してくれる親に打席に立たせるなんて・・・。期待には応えたい。裏切ってばかりだ。最低だ。

損したくない

晴れた日は必ず布団を干す。夜まで帰れなかったら干さないけど、でもせっかく陽が出ているともったいないなと思ってしまう。

腕まくりする。ビタミンDの事を思うと少しでも皮膚に日差しを当てたくなる。

他には必要以上の輪ゴム、何度か使ったジップロック等々がなかなか捨てられない。

もったいないお化けの存在を知ったのはいつ頃だったか定かじゃない。今はもうそんな奴が実在しないことも分かっている。でもいまだに誰かに「それもったいなくない?」と言って「そう?別に良くない?」と返されたときに「でももったいないお化けがさあ・・・」と会話のクッションとして使っている。

ケチではない。いやケチだと思われたくない。そのせいでかっこつけてお金に対しては無頓着であるかのように見せるようになってしまった。

実家で暮らしていたときは今みたいにティッシュ一枚を何度も使いまわしたりしなかったし、モノを大事にすることはあっても執着するようなことはなかった。それが一人暮らしを始め、家事というか生活自体を自分で管理しなくちゃならなくったときに新しい人格が徐々に形成されていったように感じる。

自分の中の自分と相談を繰り返す、バスタオルは裏と表と2回使って洗濯を減らしたい、生ごみは冷凍庫に入れて腐らないようにしたい、寝巻き用のTシャツは冬は2,3回使いたい。「どう?気にする?しない?」と話し合う。お互いに押し引きはあるけれど楽がしたいという点においては意見の一致をみているのでとにかく利点を強調する。

気づいたら許容範囲がすごく広がっている。気にしなくなることが増えていく、こだわりが減っていく。そうするとなにか寂しさを感じる。こんな時にいつも思い浮かべる漫画の一コマがある。シガテラ古谷実)の最終話の「僕はつまらない人間になった」だ。

最近よく思う。外にいても家にしても苦しかった(本当に苦しかった)頃に比べたらすごく落ち着いている。でもきっと物語として成立しない人生(生活)になってしまったんだろうなと。

全部言い訳、全部全部全部

どうしても言えない。

見損なわれたくない。相手にどう思われるかをすごく気にする。だから例えハリボテだとしても少しでも立派に色を塗っていた。

でももう無理だ。別に嘘をついていたわけでは無い、しっかりと話し合いをするしかない。でも話したくなんかない。

めんどくさい。これは自分に対するかっこつけ。

恥ずかしい。これは相手より立場が下になることに対して。

今じゃない。・・・ただその瞬間から目を逸らしているだけ。

都合のいい勝手な、幼稚な理由を頭に浮かべてはその場をやり過ごしている。結局は自分を苦しめる事になるんだけどどうしても最初の一言が言葉にできない。(俺の場合「お金がないので貸してください。」)

他人事なら全然笑えるのにいざ自分に事が降りかかってみると死ぬほど悩む。悲喜劇とはこのことだ。

自分の周りにはいくらでも道がある。道というか平野。今の俺は「あっちに進むのはなんかなあ。」「こっちはこっちでちょっとなあ。」なんて一歩も進まずにうだうだしているだけだ。どんな事態にも偶然は起こりえる、とにもかくにも良いほうの偶然(つまりラッキー)が起こることを期待してすり足で動き出してみるしかない。

絶対に許さない

許せないことが一つだけある。それは・・・

信頼されていないと感じる行動をとられる事。

さすがに仕事先の人などが相手なら悲しみに暮れるだけなんだけど、内弁慶の自分は家族が相手だと声を荒げてしまう。

ブチギレている最中は我に正義ありということで、非常に気持ちよくなれる。

しかし相手は何をそんなに怒っているのかと、「意味わかんない」と言って取り合ってくれなかったりする。この言葉にすごく傷つく。許せないことをされた上に許せないことを言われてさらに怒りが爆発する。

ただ、別に口げんかが強いわけではない。いくらその瞬間自分の方に正当性があったとしても話題をすり替えられてマウントを取り返されたりするからだ。そっからまた同じことをやり返す気は起きないしすり替えられた話題で喧嘩をするほど気力がない。

普段の行いがモノを言う。実家の食べ物を食い荒らし、無職で。ってなるとやっぱ不利だ。

我が家は喧嘩をしてもすぐに冷める。言い合った10分後にはなかったことになる。

最終的には反省している。恥ずかしい。

 

決戦はどようび

負け戦にこちらから出向く時。どう散るかどう許しを請うか、一にも二にも多少の演技力がカギを握る。

セリフ、抑揚、表情、態度。早く終わらせようとしちゃだめだ。むしろ長引きそうだなと思わせる、相手が椅子に深く腰を掛けたらこっちのもの。多分、一気に結論に向けて話が進みだす。

そこから温情を引き出す。あくまでも相手が譲ってくれる優しさに一つずつ謝意を送る。こちらから条件を出すのは悪手だ。その場はどうにかなっても後々に遺恨を残すことになりかねない。

盛者必衰の理を信じて、相手の失脚を願う。

そんなむなしい事をしてはいけない。人を呪わば穴二つ。

だいたい救いを求めて、差し伸べられた手をがっつり握りしめといて・・・。情けない。

負け戦も人生の一ページ、というか日常の一コマでしかない。一晩寝てしまえばどうってことない。しかし次こそは勝つために・・という執念がないと結局また歴史は繰り返される。

薄目で自分を見つめなおす・・・。

直視できない。情けなくて。

何もせず停滞。

あ~あれやらなきゃなあ、と思ったらやらなきゃなあ。

元来の億劫病に加えて、体臭。言い訳として正当性があると思います。

誰でもいいから、押すというよりも背中を思いっきり突き飛ばしてほしい。

こうやってすぐに自分から目を逸らす。ネットサーフィンしているうちに1日はあっという間に過ぎていく。カスだ。

誰か助けて・・・と救いの手が差し伸べられるのを寝転がって待っている。

キーボードを叩く指が重い、クリックする右人差し指に力がない。胡坐を組んでる足がだるい。

27歳、バリバリの青年だ。しかしもう若者ではない。仕事をしていたら人に指導することを求められたり、転職するなら即戦力であることを期待される。

あまりにも経験値が低すぎる気がする。武器も特にないし・・・。中身がスカスカ。

昔から他の人と違うということがカッコイイと思っていた。そうしたら孤立した。そんでもって人並の人生経験ができなかった。

こうなる運命だったのか。しかし、道は一本ではない。どうにか自分なりの方法で嫌々でも俯きながらでもできそうなことからやっていくしかない。

心の準備

体育の授業の時、最初の5分は屈伸運動をした。怪我を予防する準備体操だ。これをしたからといって絶対に怪我をしないわけじゃない。だけど心の準備につながる。

これから運動をするんだという風に頭を切り替える。突然、段階を踏まずに走ったり投げたりすると簡単にどこかを痛める。

 

行きたくないところに行く。会いたくない人に会う。ストレスになる。

よくストレスの対策(予防法)で深呼吸をするというのがある。俺はやったことがないので効果の程はしらないけど、たぶんメンタルバージョンの準備体操ということだと思う。

しかし、毎日のように同じ人に会わなければならない学校や職場に通っていると深呼吸程度ではどうにもならない。なにより、ストレスは原因があって生まれるものだから、自分がそのために我慢する(深呼吸とかで受け入れる)必要があるのか。

もし勉強だったり仕事そのものが好きになれないならできる範囲でやる、いや意外と楽しくなったりすることもある(特に最初の頃)ので時間を割いてがっぷり四つで取り組んでみるのもいい。

ただ一番のストレスは人間だ。やっぱり。

会いたくない人に会わなくちゃいけないのはマジでキツイ。接客業をしていた時、本当にどうしても受け入れられないお客さんいた。その人はほぼ毎日来店する超常連客だった。本当に嫌だった。とにかく高圧的な態度が死ぬほど嫌いだった。ストレスでよく左腹部が痛んだ。家にいる時でさえ仕事の事を思うと憂鬱になった。

体臭で悩んでいるとどこにも行けなくなる。特に行きつけの場所などは作れない。旅行もできない(自転車で行ける距離なら別だけど)。しかし、こうやってできないできないと書いていると気がめいでくる。

心の準備をするといっても、周りの人たちに「臭い」と言われても平気でいられる魔法のような対処法はおそらくない。・・・つまり治すしかない。・・・ここまで堂々巡りでよく考える。

鼻つまみもので生きていくのは辛い。何とかどうにかならないのか。食事療法は大変だから、医学の進歩を願いたい。